1943年1月1日、東京都渋谷区に生まれる。父型の祖父はイギリス人の日英クォーター。
13歳の時、同級生6人でハワイアンバンドを結成。オーディションに合格し、17歳でセミプロデビュー。しかしメンバーの多忙のため解散。
その後もジミー時田とマウンテンプレイボーイズ、ザ・ワンダーズなどを経て、1970年8月、「別れの夜明け」でフィリップス・レコードからソロデビュー。ダイナミックな歌唱で業界を騒がせたが、タクシー乗車中に事故に巻き込まれ4ヶ月の入院。その間まったくレコードの宣伝が出来ず、売り上げは伸びず。
1971年、「また逢う日まで」、「さよならをもう一度」、「雪が降る」、「愛する人はひとり」など次々とヒット曲に恵まれ、そのうち「また逢う日まで」は売り上げ100万枚を突破。第13回日本レコード大賞、第2回日本歌謡大賞大賞を受賞。同年の紅白歌合戦には白組トップバッターとして初出場している。
1979年、歌謡番組以外にも「ミュージックフェア」などポップス番組にも出演。活動の幅を広げていく。
1987年、「サマー・ラブ」がスマッシュヒット。
1995年、アニメ「空想科学世界ガリバーボーイ」にて主題歌「燃えろ!ガリバーボーイ」を熱唱。アニメファンにもその名を知らしめた。
その後も趣味のジャズ、ハワイアンを中心にした公演活動を続けていく。
しかし、2011年4月、コンサートを病気療養のため中止。1年以上前から入院していたことが親族により明かされた。
2012年5月30日、肝臓がんのため死去。
同年12月30日、日本作曲家協会より第54回日本レコード大賞特別功労賞が贈られた。
「また逢う日まで」
尾崎のみならず、歌謡曲を代表する名曲。その圧倒的な歌唱力が分かる。
「さよならをもう一度」
つづく第3弾シングル。また逢う日までより若干歌詞に未練が残っているか。
「サマー・ラブ」
スーパードライのコマーシャルに使われた。作曲はブルー・コメッツの井上大輔。