
1965年7月13日、東京都大田区に生まれる。
歌手志望だった母の影響で歌手になる夢を抱いた中森は、1981年「スター誕生!」にて、番組史上最高得点をたたき出して合格。のち、ワーナー・パイオニアとレコード契約。
1982年5月1日、「スローモーション」でデビュー。同じ年にはファースト・アルバム「プロローグ〈序幕〉」を発表。そして第2弾シングル「少女A」で一躍ブレイクした。
3枚目のシングル「セカンド・ラブ」が初の週間1位を獲得してからの勢いは止まらず、ヒット曲を連発していく。
1984年11月、井上陽水作曲「飾りじゃないのよ涙は」発表。アイドルからの脱皮を象徴する楽曲となったが、それは中森にポスト「山口百恵」を求める声とのすれ違いの始まりでもあった。
その後は歌手活動のみならず、俳優業へ進出も果たし、連続ドラマ「素顔のままで」に主演。さらにアニメ映画「走れメロス」では声優にもチャレンジした。
2010年10月28日、体調不良により芸能活動の無期限休止を発表。
2014年、第65回NHK紅白歌合戦にサプライズゲストとして登場し新曲を披露。歌手活動を再開した。
「少女A」
ブレイクのきっかけとなった俗に言うツッパリ路線の始まりの作品。
「禁区」
当時大人気だったYMOのメンバー細野晴臣作曲のいわゆるテクノ歌謡。YMOの「過激な淑女」はこの時に中森側に没にされたもの。
「スローモーション」
デビュー曲。ここではまだ特徴的な低いボーカルは披露していないが、この時点で歌手として完成していたことが分かる。
「飾りじゃないのよ涙は」
井上陽水作詞作曲の中森の代表曲。当初はシングル化の予定はなかった。