1980年、藤井郁弥と武内享を中心にチェッカーズ結成。
1981年、ヤマハ・ライトミュージックコンテストジュニア部門最優秀賞受賞。
1983年9月21日、「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。
翌年1月24日、2ndシングル「涙のリクエスト」発売。大ヒットし社会現象になる。第35回NHK紅白歌合戦初出場。
1985年、映画「CHECKERS IN TAN TAN たぬき」出演。「ジュリアに傷心」がオリコン1位獲得。個人事務所スリースタープロに移籍。
1986年、映画「チェッカーズSONG FOR U.S.A.」出演。初のメンバーによる作詞作曲「NANA」発売。NHKで放送禁止に。
1987年、全曲オリジナルアルバム「GO」発売。以降メンバーのソロ活動が増える。
1988年、「Mother’s Touch」が藤井のソロシングルとして発売。
1992年10月9日、ミュージックステーションにて解散を発表。同年第43回NHK紅白歌合戦がグループとして最後の出演に。
2004年8月17日、ドラマーの徳永善也が舌がんのため死去。
再結成の呼び声は高いが、一部メンバーの不仲のため現在まで再結成は実現していない。
「涙のリクエスト」
チェッカーズ大躍進のきっかけになった。映画「アメリカン・グラフィティ」から影響を受けている。
「ジュリアに傷心」
チェッカーズ最大のヒット曲。サックスが印象的。
「ギザギザハートの子守唄」
デビュー曲にして異色作。近年ではあるヒット曲との類似点が指摘されている。