1947年11月18日、山梨県甲府市に生まれる。
1965年、テレビ番組「リズム歌合戦」にて優勝。その才能を見出され、渡辺プロダクションに所属。森進一という芸名はハナ肇が名付けた。もともとは普通の声であった森の声に個性が弱いと感じたプロデューサーは、声をつぶして歌うよう説得。
1966年、「女のためいき」でデビュー。美声歌手が主流だった当時の歌謡界でハスキーな声で歌う森の歌唱スタイルは衝撃を与え、「ゲテモノ」などと酷評された。
1968年、「花と蝶」で紅白歌合戦に初出場。
1969年、「港町ブルース」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。出場2回目にしてこの年の紅白歌合戦のトリを務める。
1971年、代表曲「おふくろさん」発売。
1972年、狂信的なファンから契約不履行を訴えられる。このことを苦にした母は翌年に自殺。森の全面勝訴が言い渡されたのはその半年後だった。
1974年、「襟裳岬」発売。
1982年、大瀧詠一作曲「冬のリヴィエラ」発売。ポップス系のファン層を獲得した。
1986年10月1日、森昌子と結婚。3児を授かる。
2005年、おしどり夫婦として有名だった昌子との関係が悪化。同年3月別居。さらに持病のC型肝炎で入院を余儀なくされる。4月19日、正式に離婚発表。闘病中にうつ病も発症。
2006年3月、回復のち退院。
2007年2月、おふくろさん騒動勃発。作詞家川内康範との関係が悪化。和解に至ることなく2008年4月6日、川内逝去。
2008年11月、川内の遺族と和解。
2015年、デビュー50周年のこの年、紅白歌合戦勇退を宣言。トリで「おふくろさん」を披露。紅白の場を去る。
「おふくろさん」
森を代表する曲。もとはアルバム収録曲だったが、シングルカットされた。
「襟裳岬」
吉田拓郎作曲による名曲。「襟裳の春は何もない春です」というフレーズは有名。
「冬のリヴィエラ」
デビュー曲。ここではまだ特徴的な低いボーカルは披露していないが、この時点で歌手として完成していたことが分かる。
「飾りじゃないのよ涙は」
大瀧詠一作曲。ポップスをも歌いこなす幅の広さを見せた。大瀧本人は「夏のリビエラ」という題でセルフカバーしている。