1973年、高度経済成長期終盤の日本であるバンドがデビューした。その斬新なサウンドは日本ではなく、遠くイギリスで評価され、翌年新たな作品を引っさげ帰ってきた。まさしく「黒船」として…。
1947年3月21日、京都市伏見区に生まれた加藤和彦は居住地を転々としつつ、高校卒業まで東京の日本橋で育った。当時から加藤は子どもに人気であった野球などには一切興味を示さず、映画や料理、ミステリー小説などの子どもらしからぬ趣味を持っていた。唯一子どもらしいと言える西部劇の趣味だけはあったが、いわゆる早撃ちの真似などではなく、自宅の庭に友人と集まりベーコンやポークビーンズなどを炒めて、カウボーイの風俗を追体験するというものであった。
日本橋を離れ、生まれ故郷京都にある仏教系大学に入学した加藤はフォーク・グループの結成をもくろみ、さっそく男性ファッション雑誌「メンズクラブ」にメンバー募集の広告を出したところ、きたやまおさむ含め、計4人のメンバーが集まった。ザ・フォーク・クルセダーズの始まりである。
その後、大学卒業を控えていたメンバーの事情を鑑み、解散記念でアルバム「ハレンチ」を制作する。その中に収録されていた「帰って来たヨッパライ」が関西のラジオを中心に話題となり、シングルで発表したところおよそ280万枚の大ヒット。日本初のミリオンセラーとなった。この曲でザ・フォーク・クルセダーズは東芝音楽工業とプロ契約。1年限定で活動を始めることとなる。
第2弾シングル「イムジン河」の発売中止騒動ののち、「悲しくてやりきれない」を発表。売上はそれほど伸びなかったものの「帰って来たヨッパライ」とはまた違った憂いをたたえた表情を見せた。1968年10月「フォークル・フェアウェル・コンサート」を行い、ザ・フォーク・クルセダーズは解散した。
解散後、2回の渡米を挟んで従来のフォークサウンドにオペラ、童謡、アコースティックなど、前作「ぼくのそばにおいでよ」の多彩さをさらに押し広げた「スーパー・ガス」を発表する。「不思議な日」「家をつくるなら」「もしも」など名曲を含み、琉球音楽的な「魔誕樹の木陰」、その後の活動につながるようなグラム・ロック調の「アーサー博士の人力ヒコーキ」などが収録されている。そしてこの頃、福井ミカと結婚。北山修とは「あの素晴しい愛をもう一度」を発表。渡英した際に現地のミュージシャンのライブでPA機材の重要さに気づいた加藤は、日本初のPA会社ギンガムを立ち上げ、ワンステップフェスティバルを始めとする国内の大規模なロックフェスに貢献していく。
ロンドン滞在中、ロキシー・ミュージックやT・REXのステージを鑑賞し、グラム・ロックの洗礼を受けた加藤はサディスティック・ミカ・バンドの立ち上げを決意する。バンド名は同じ夫婦バンドということにあやかってプラスティック・オノ・バンドから命名。小原礼、高橋幸宏、高中正義他、自身の旧友から新人まで幅広いメンバーを集め、1973年5月5日、1stアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」を発表する。
では、その内容を見てみよう。
「ダンス・ハ・スンダ」
バンドの名前がそのまま冠された記念すべき1stアルバムはいきなりギターが耳に飛び込んでくる「ダンス・ハ・スンダ」で始まる。当時の日本のロックバンドがシリアスにブルースロックを追及していた中で1曲目に人を食ったような回文のタイトルを持ってくる加藤のセンスも凄いが、突然何かが爆発したかのようなテンションの高い曲調とボーカルにも驚かされる。そして最後の早急なフェイドアウトは斬新の一言。
「怪傑シルヴァー・サーファー」
「悲しくてやりきれない」の加藤和彦を想像すると面食らってしまう。イントロがサンプリング元として人気があるというドラムソロで始まる「怪傑シルヴァー・サーファー」は、加藤の妻福井ミカの「サディスティック」な声と高中のファンキーなギターが競演するパワフルな奇曲。
「宇宙時計」
印象的なピアノのリフで始まる「宇宙時計」は歯車を太陽、短針を三日月、長針を流れ星、文字盤を地球にたとえ、そこでは人間はちっぽけな埃に過ぎないというとてつもなくスケールの大きな歌詞が特徴。間奏ではギターの弦で秒針の音を再現する遊び心も。全体的にこのアルバムは音を限界まで歪ませている曲が多いが、この曲の加藤のボーカルの歪ませ方は他に類を見ない。
「シトロン・ガール: 金牛座流星群に歌いつがれた恋歌」
サディスティック・ミカ・バンドの作品中一番長いタイトル「シトロン・ガール: 金牛座流星群に歌いつがれた恋歌」は前3曲の流れから一転加藤の落ち着いたボーカルを堪能できる。間奏のギターと当時はまだ珍しかったシンセサイザーの絡みが美しい。
「影絵小屋」
ヘビーなリフが延々繰り返される「影絵小屋」は全曲中T・REXの影響が特に濃厚な一曲。リフの陰に隠れているが高中による多彩なバッキングフレーズは彼のたぐいまれなる才能を感じさせる。
「空の果てに腰かけて」
気だるげな「空の果てに腰かけて」は白昼夢のようなサイケデリックさに満ちている。他の楽器に比べ、はっきりした音で印象的なアクセントをつけているピアノの間奏でのソロは「帰って来たヨッパライ」を想起させる。
「銀河列車」
ハードなギターにソフトなマリンバの取り合わせが斬新な「銀河列車」。この曲もまた間奏のギターとシンセサイザーのソロが美しい。オリジナルミックスからは除かれているがこのアルバムの同年発表されたイギーポップ率いるストゥージズの「ロウ・パワー」に収録されている「Penetration」のイギーポップミックスには同じような手法でギターリフのバックにチェレスタが使われている。偶然にしても加藤の先進的な音楽センスは素晴らしい。
「アリエヌ共和国」
ザ・ローリング・ストーンズ「ブラウン・シュガー」をさらにブーストさせたような「アリエヌ共和国」はこのアルバムのキラーチューンの一つ。当時のライブでも頻繁に演奏され、「タイムマシンにおねがい」発表以前はサディスティック・ミカ・バンドを代表するようなナンバーだった。
「恋のミルキー・ウェイ」
作曲者自身のドラムで始まる「恋のミルキー・ウェイ」は日本で最初にレゲエを取り上げた作品の一つ。高橋幸宏ではなくベースの小原礼に歌わせているのは、高橋がビートルズ好きでこの曲ののほほんとした雰囲気に小原のボーカルがリンゴ・スターのようにはまると考えたからだろうか。ちなみに世界的にレゲエが知られるきっかけとなったザ・ウェイラーズの「キャッチ・ア・ファイア」の日本盤発売はこの翌年1974年である。
「ピクニック・ブギ」
コーラスやガヤで出番はあったが、いよいよミカ夫人のボーカルお披露目となる「ピクニック・ブギ」は破壊的なボーカルに荒唐無稽な歌詞が見事にマッチしたラストにふさわしいナンバー。
「サイクリング・ブギ」
CDにはボーナストラックとして収録されている「サイクリング・ブギ」はつのだ☆ひろドラム時代のシングルであり、「レッツゴードーナッツ!」というイントロの叫びは加藤自身の作品をリリースするための社内レーベル「ドーナツ・レコード」の立ち上げ宣言である。LP時代にはこの「サイクリング・ブギ」はシングル盤としてアルバムに同梱されており、B面にはクレジット代わりにラジオDJが「怪傑シルヴァー・チャイルド」をバックにミュージシャンやエンジニアを紹介するという遊び心ある「レコーディング・データ」が収録されている。
サディスティック・ミカ・バンドの随一の名作は確かに「黒船」であることは世間的にも周知の事実。最初の一枚にと手に取る音楽ファンも多いだろうが、そもそもこの1stアルバムにクリス・トーマスが興味を示さなければ「黒船」は生まれなかった。
コンセプトアルバムを意識した「黒船」は、組曲も含めた構成が素晴らしいのだが、イントロ3秒が勝負の現代社会。そこに行きつくまでに聴くことをやめてしまう人がいることを考えると、筆者としては「ダンス・ハ・スンダ」で爆発的にスタートする「サディスティック・ミカ・バンド」こそ、サディスティック・ミカ・バンドの魅力を音楽ファンにアピールするにふさわしい名作ではないかと思うのだが。
文 / 上岡 賢
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