
2013年12月30日、ある音楽家が逝った。彼の名は大瀧詠一。日本の音楽界を代表する偉大なミュージシャンである。彼の名を聞いて連想するものは人によって違う。80年代突然出現した謎のポップス歌手か、もしくは伝説的バンド「はっぴいえんど」のメンバーとしてか…。
1948年7月28日、岩手県に生まれた彼は小学生のころアメリカンポップスに衝撃を受け、中学時代には自作のラジオで米軍のラジオ(FEN)を聴くようになる。そんな生活を送っていた彼が出会ったのがエルヴィス・プレスリーだ。その傾倒ぶりはかなりのものではっぴいえんどの活動を経た後、発表したソロアルバム「大瀧詠一」に収録された「いかすぜ!この恋」の歌詞は全てエルヴィスの発表したシングルの邦題で構成され、さらにエルヴィス風に歌い上げるという彼の数寄者ぶりが伺える一曲となっている。
その後、クレージーキャッツ、ビートルズを知った彼はいくつかバンドを結成するものの長続きせず、1968年早稲田大学に入学。そこである人物と出会う。「はっぴいえんど」のベース担当、細野晴臣である。
細野のバンド仲間であったドラム松本隆とともに「ヴァレンタイン・ブルー」を結成。「はっぴいえんど」の前身となったこのバンドの名前は後々、コロムビアレコード時代の彼の最高傑作アルバムと名高い「NIAGARA CALENDAR」にて「Blue Valentine’s Day」という作品に姿を変えている。
名ギタリストである鈴木茂も合流したバンドは「はっぴいえんど」と改名。「はっぴいえんど」(通称:ゆでめん)を発表した。バッファロー・スプリングフィールドに影響を受け、日本でロックをするにはイギリスよりもまずアメリカのロックをやらなければならないと日本語でフォークロックを踏襲。日本語ロック論争に巻き込まれるが「ロックは英語であるべし」と主張する内田裕也とエルヴィス・プレスリーの話題で意気投合。うやむやのままに終わる。
前作「はっぴいえんど」でバンドとしてのコンセプトを表現しきってしまったため、オリンピック以降失われゆく古き良き東京の姿を「風街」という概念に託して表現するという試みのもと、2ndアルバム「風街ろまん」を発表。ミュージシャンとして成長し、バンドとしてもはや表現することがなくなった4人はその後、アメリカに行きヴァン・ダイク・パークスらと3rdアルバム「HAPPY END」を録音。完成度こそ高かったものの、そこに「はっぴいえんど」の顔を見出すことは難しく、4人のソロアーティストのオムニバス作品のような体裁になった。皮肉なことに最後の作品を録音したサンセット・サウンド・レコーダーズというスタジオは、はっぴいえんど結成のきっかけとなったバッファロー・スプリングフィールドの2ndアルバム「アゲイン」が録音されたスタジオであった。

大瀧詠一初めてのソロアルバムにして、その後連綿と続くナイアガラの歴史の口火を切った作品「大瀧詠一」は意外にも「風街ろまん」録音中、自分の作業を終えてしまい暇になった大瀧がキングレコードのディレクター三浦光紀と雑談をしている間に形になったものだった。当初、大瀧は、元々アルバムというものはSP盤を束ねる入れ物がアルバムに見えたという逸話を耳にしたことから、まずシングルを6枚リリースし、それをまとめて「オムニバス」(乗合馬車)として出そうとした。だが、諸々の事情からコンセプトをソロ・アルバムに変更。大瀧含めはっぴいえんどのメンバーはアメリカのロックを翻案して日本のロックをやらなければならないという考えを持っていたため、封印していたイギリスの「ビートルズ風」を解禁。「空飛ぶくじら」を録音した。当時発表したシングルの中でも人気曲となるが、大瀧曰く、その人気故に収録を見送ることになる。これはビートルズはヒットしたシングル曲をアルバムに入れないという方針を取っていたため、それを踏襲したものと考えられる。タイトルはエルヴィス・プレスリーのデビューアルバムが「エルヴィス・プレスリー」というシンプルなものだったことにあやかり「大瀧詠一」と名付けられた。
こうして体裁が整えられたアルバム「大瀧詠一」。まず一曲目の「おもい」を一聴してはっきりわかることは大瀧のボーカルスタイルの明確な変化である。風街ろまんの「空色のくれよん」でもヨーデルを交えた伸びやかなボーカルが聴けたが、基本的にはっぴいえんどにおける大瀧のボーカルは尖ったシャウトであった。このアルバムの収録曲「それはぼくぢゃないよ」のシングルバージョンではとげとげしいはっぴいえんど式の歌い方であるが、アルバムバージョンでは自身の声質を理解したのか伸びやかなクルーナーボイスで歌い上げており、大瀧自身も「このボーカルが大瀧詠一・生涯でのベスト・ボーカルだったのではないか」(大瀧詠一(1995)Sony Records ライナーより抜粋)と述懐している。こうしたクルーナーボイスの他にも「指切り」、「水彩画の町」、「乱れ髪」などの囁くようなボーカルも披露し、ボーカリストとしても著しい成長を見せていることがわかる。もちろんはっぴいえんど張りにシャウトする「びんぼう」、「あつさのせい」などもあるが、そこには「颱風」、「いらいら」の時のような若々しく切迫した響きはすでになく、ロックンロールに向いた声を自らコントロールできるという余裕さえ感じさせる。
シングルで発表した作品のアレンジ変更も際立つ。「五月雨」のシングルバージョンを例にとると、「いらいら」、「颱風」に連なる本人曰く❝四音シリーズ❞に共通するものであるが、アルバムバージョンでは曲調をポップに変更。グッと声のトーンを落とし囁くようなスタイルに変更されている。「ウララカ」ははっぴいえんどの「はいからはくち」のシングルバージョンを基に歌詞を変更したものだが、鈴木茂の強烈なファズギターが炸裂する「はいからはくち」に対し、元ネタであるクリスタルズの「ハイ・ロン・ロン」に基づいたアメリカンポップスに落ちついている。また「指切り」ではアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を基にかなり大人びたポップスに挑戦している。
このアルバムに収められた大瀧の作品ははっぴいえんど時代に封印していた自身の趣味嗜好が爆発したかのようであり、事実、「統一感がない」という評価が発表当時になされている。細野晴臣に「中途半端」と評され、大瀧は2ndアルバム「NIAGARA MOON」以降、ある種、狂気的にリズムを追求していく。そのため、大瀧の音楽的ルーツを無邪気にさらけ出した貴重な作品として評価は高まった。
はっぴいえんどが解散状態となり、ソロミュージシャンとして独り立ちしなければならない現状に対して本人が答えうる最高の答え、それがこの「大瀧詠一」だったのだろう。
文 / 上岡 賢
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