1971年、念願の自身の作品を制作したあるミュージシャンは、完成したレコードを聴いたとたん、自らの作品がレコード会社の勝手な編集によって改変されていることに気付き、完成したアルバムを道に投げつけたという。アルバムの名前は「コールド・スプリング・ハーバー」。ミュージシャンの名前はビリー・ジョエル…。
ピアニスト、アマチュアボクサーなど、職を転々としていたビリー・ジョエルはバンド「ハッスルズ」の元メンバーとハードロック・ユニット「アッティラ」を結成。2枚のアルバムを発表するが、売り上げが振るわずあえなく解散。さらにうつ病にも悩まされていたビリーはまさにどん底と言っても過言ではなかった。
そんな絶望の最中、プロデューサーアーティ・リップにそのたぐいまれなる才能を見出され、1971年ファミリー・プロダクションズからデビューアルバム「コールド・スプリング・ハーバー」を発表。ようやくデビューしたビリーだが、ミスによって勝手に回転数を変更され、本来より高い声になってしまっていることや、プロデューサーアーティ・リップの完全主義者ぶりに振り回され、売り上げも振るわず人間不信に陥り、自宅に引きこもりがちになってしまう。
ロサンゼルスに移住したビリーは芸名ビリー・マーティンとしてピアノの弾き語りで生計を立てていたが、ライブ音源「キャプテン・ジャック」がFMラジオで評判となり、アルバム「ピアノ・マン」を制作。その後も「ストリートライフ・セレナーデ」、「ニューヨーク物語」、「ニューヨーク52番街」と傑作を連ねていくが、名実ともにニューヨークの「顔」といえる存在になったのは1977年発表の5thアルバム「ストレンジャー」からだろう。
「ムーヴィン・アウト」
ギターの歯切れよいリフが心地いい1曲目にふさわしい作品。有名な「カカカカカ・・・」という箇所はよく聴くとエコーではないことが分かる。
「ストレンジャー」
哀愁漂うピアノパートとヒリヒリするようなロックパートで構成されているアルバムタイトル曲。日本でもシングルカットされ、オリコンチャート最高2位を記録。その他CMでも多用されたため、ビリーの日本公演では必ず演奏されている曲。
「素顔のままで」
ビリー・ジョエルのまさに「ピアノ・マン」としての顔を代表する名曲。伴奏のエレクトリックピアノやコーラスからは10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」からの影響も感じさせる。
「イタリアン・レストランで」
ポール・マッカートニーの影響も感じる組曲風の作品。7分37秒とこのアルバムのなかでは最も長いが、とあるカップルの出会いと別れまでを軽やかに歌い紡いでいくさまは長さを感じさせない。
「ウィーン」
がむしゃらに頑張ろうとする若者にもう少し落ち着いたらどうだと諭す歌詞はどこかビリー自身に語りかけているようでもある。
「若死にするのは善人だけ」
陽気な曲調だが、宗教に疑問を投げかける過激な歌詞は後の「グラス・ハウス」、「ナイロン・カーテン」へと通ずる姿勢が垣間見える。
「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」
「素顔のままで」と並び称されるビリーのピアノバラードの代表作。「コールド・スプリング・ハーバー」収録の「シーズ・ガット・ア・ウェイ」を発展させたような歌詞だが、ピアノの連弾とアコースティックギターのアルペジオを組み合わせた美しいサウンドはデビュー当初のビリーには到達できなかった領域だ。
「最初が肝心」
前年に発表されたスティービー・ワンダーの「キー・オブ・ライフ」収録の「アナザー・スター」を彷彿とさせる軽快なサンバ風アレンジが印象的。
「エヴリバディ・ハズ・ア・ドリーム」
どんなに絶望の淵にあっても人が夢を見るように、誰もが夢を持っていると、落ち込んでいる人を励ますようなゴスペル。最後には「ストレンジャー」のピアノと口笛が再び鳴り響きこのアルバムを締めくくる。
ビリー・ジョエル大躍進のきっかけとなったこの「ストレンジャー」だが、アメリカ人らしからぬ歌詞世界のナイーブさは「コールド・スプリング・ハーバー」と通底しているように思える。
このアルバムが全米2位まで昇りつめた理由はプロデューサーフィル・ラモーンの手腕だけでは決してなく、一度挫折しロサンゼルスで弾き語り生活をしていくうちに研ぎ澄まされたビリーの音楽的感性がこのアルバムで大きな花を咲かせたことが大きいと言えるだろう。
文 / 上岡賢
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