1948年6月25日、鳥取県岩美郡津ノ井村に生まれる。
1966年、京都のダンス喫茶でドアボーイのアルバイトをしている際、岸部一徳率いるサリーとプレイボーイズにリード・ボーカルとして誘われ加入。
1967年2月5日、バンド「ザ・タイガース」として「僕のマリー」でデビュー。その端正な容姿で貴公子的存在として10~20代の女性を中心に熱狂的な人気を獲得。
1971年1月24日、日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」を最後にザ・タイガースは解散。ザ・テンプターズの萩原健一らとともにPYGを結成するが、商業主義だと批判を受ける。
同年11月1日、シングル「君をのせて」でソロデビュー。
1973年4月21日、「危険なふたり」発売。ソロ初のオリコン1位を獲得。第4回日本歌謡大賞を受賞する。
1975年6月4日、ザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚。
1977年5月、「勝手にしやがれ」発表。パナマ帽を客席に飛ばすパフォーマンスで大きな話題になる。
1978年、第29回NHK紅白歌合戦では山口百恵とともに大トリをつとめる。
1979年、映画「太陽を盗んだ男」で原子爆弾を作る理科教師を演じ、報知映画賞で主演男優賞を受賞。
1987年1月、伊藤エミと離婚。
1997年、岸部一徳、森本太郎とともにTEA FOR THREEを結成するが、アルバム発売はならず。
2008年、還暦を記念し、コンサート「人間60年・ジュリー祭り」開催。約6時間半で80曲を歌いきる。
2012年3月11日、東日本大震災被災地への祈りを込めたアルバム「3月8日の雲」を発表。
2013年12月3日、44年ぶりとなるザ・タイガースのコンサートを日本武道館で行う。
2020年5月、映画「キネマの神様」でドリフターズの頃より親交があった志村けんの代役として主演。
「勝手にしやがれ」
サビの振り付けが印象的。山口百恵のプレイバックPart2はこの曲のアンサーソングと言われている。
「TOKIO」
総額250万円というパラシュートを背負った衣装は必見。井上堯之バンド解散のきっかけになった。
「時の過ぎゆくままに」
沢田研二の代表曲。PYGより追求していたロックバラードの一つの到達点。