1929年1月17日、福岡県浮羽郡吉井町に生まれる。
5歳のとき、浪曲師酒井雲に弟子入りし「酒井雲坊」の名をもらう。
1949年、「日本一の浪曲師」を夢見て、上京。25歳のとき「村田英雄」と改名。
1958年、ラジオで村田の口演を聴いた古賀政男に見出され、十八番の浪曲「無法松の一生」を古賀が歌謡曲化し、同曲で歌手デビュー。
1961年、「王将」がミリオンセラーとなり150万枚近くを売り上げ、1962年、第4回日本レコード大賞特別賞を受賞。
持病の糖尿病の悪化など挟みつつも1979年、有線放送から1967年発売の「夫婦春秋」がリバイバルヒット。相乗効果で新曲「人生峠」などをヒットさせる。
1981年、ビートたけしのオールナイトニッポンの中で数々の逸話や伝説を取り上げられ若者からの人気も獲得する。
1995年頃より糖尿病の合併症から痩せ衰えていく。
1996年5月、壊疽状態になったため右ひざ下12センチを切断。「一切無になりたかった」と剃髪し、以降は坊主頭に作務衣姿となる。
2002年6月13日午前9時52分、合併症の肺炎により死去。戒名は「玉泉院英聲日楽大居士」。
没後に勲四等瑞宝章を授与された。
「無法松の一生」
十八番を歌謡曲化したデビュー曲。カップリングの度胸千両を組み込んだものが有名。
「王将」
「吹けば飛ぶよな 将棋の駒に~」という歌いだしが有名な自身最大のヒット曲。
「人生劇場」
あまりの歌いこなしぶりに村田の曲だと思われているがオリジナルは楠木繁夫。