
1953年1月29日、中華民国(台湾)は雲林県褒忠郷田洋村に生まれる。
10歳の頃、天才少女として注目され、14歳でプロ歌手としてデビュー。18歳で香港でレコードをリリース。
1973年、のちのトーラスレコード社長である舟木稔にスカウトされ「日本ポリドール」と契約。
1974年、デビュー曲「今夜かしら明日かしら」を発表するも不発に終わったが、2作目「空港」が大ヒット。日本レコード大賞新人賞を受賞。
1979年2月、中華民国のパスポートではなくインドネシアのパスポートで来日しようとし、旅券法違反で国外退去となる。台湾当局に身柄の引き渡しを要求されたが、歌手活動が出来なくなることを憂いた舟木は彼女をアメリカに渡らせる。
1980年代初めごろになると、中華人民共和国でもテレサ・テンの歌が評価され始め、1983年に香港で行われたツアーでは10万人を動員。しかし中国共産党によって同年、テレサの歌は放送禁止にされてしまう。
1984年、再来日し、「つぐない」で再デビュー。日本有線大賞等、数々の賞を受賞。
1986年、「時の流れに身をまかせ」を発表。200万枚の大ヒット。
同年、中華人民共和国にてテレサの歌が事実上解禁。
1989年5月27日、香港で開催された中華人民共和国民主化支援コンサートに参加。しかし、天安門事件が起こってしまい、翌年予定されていた両親の生まれ故郷中国本土での初コンサートも中止になってしまった。
フランスはパリに移り住み、1992年に「夜来香(イェライシャン)」をレコーディング。だが、この頃より喘息が悪化。来日することも稀になった。
1995年5月8日、静養のため訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルにて気管支喘息による発作のため死去。
「空港」
日本では自身初のヒット曲。アイドル歌謡から転向後の1曲目となる。
「夜来香」
中国音楽の代表的名曲。元曲は山口淑子。
「時の流れに身をまかせ」
荒木とよひさと三木たかしコンビの「つぐない」「愛人」に続いて発表された代表曲。