1958年8月29日、アメリカはインディアナ州ゲーリーに生まれる。
1963年、「ジャクソン・ブラザーズ」の名で活動していた兄弟のバンドに兄のマーロンと共に参加。この頃よりグループは「ジャクソン5」と名乗るようになる。
1968年1月、シングル「Big Boy」でデビュー。同年7月、モータウンと契約に成功。
1969年、「帰ってほしいの」でメジャーデビュー。全米チャート1位を獲得。その後も「ABC」、「アイル・ビー・ゼア」などがヒット。
1971年10月、「ガット・トゥ・ビー・ゼア」でソロデビュー。この頃よりモータウンとの折り合いがつかなくなっていく。
1975年、エピック・レコードに移籍。装いも新しく「ジャクソンズ」として再デビュー。
1978年、ミュージカル映画「ウィズ」にてダイアナ・ロスと共演。制作現場でクインシー・ジョーンズと出会う。
1979年6月、「オフ・ザ・ウォール」発表。クインシーをプロデューサーに迎えた本作は全米で800万枚の大ヒットとなった。
1982年12月、「スリラー」発表。収録曲9曲のうち7曲がシングルカット、そのすべての曲が全米チャートでトップ10入りするという驚異的な記録を打ち立てる。「スリラー」、「ビリー・ジーン」、「今夜はビート・イット」の3曲はミュージック・ビデオが制作され、14分というミュージック・ビデオとしては異例の長さである「スリラー」は特に話題になった。現在に至るまで6500万枚を売り上げたとされ、「史上最も売れたアルバム」としてギネス世界記録に認定されている。
1983年5月、「モータウン25周年記念コンサート」に出演。「ビリー・ジーン」のパフォーマンス中、自身の代名詞「ムーンウォーク」を初披露。
1985年、「ジャクソンズ」脱退後「USA・フォー・アメリカ」に参加。自身も作曲に参加した「ウィー・アー・ザ・ワールド」はアメリカンポップスの金字塔となった。
1987年8月、「BAD」発表。「マン・イン・ザ・ミラー」、「スムース・クリミナル」などがヒット。概ね前作を踏襲した作品となったが、「リーヴ・ミー・アローン」など自身のゴシップ問題を扱った曲が初めて登場し、作品に不穏な影を落としている。
1991年11月、「デンジャラス」発表。クインシーとの蜜月を断ち、テディー・ライリーをプロデューサーに迎える。「ブラック・オア・ホワイト」、「ヒール・ザ・ワールド」などがヒット。
1995年6月、「ヒストリー パスト、プレズント・アンド・フューチャー ブック1」発表。1枚目がベスト盤、2枚目が未発表曲集という特殊な形態で発売された。この頃より結婚と離婚を繰り返すようになる。
2001年10月、「インヴィンシブル」発表。全米1位となったものの前作から大幅に売り上げを落としてしまう結果となった。そしてこの作品がマイケルの生前最後のスタジオアルバムとなる。
2002年4月、民主党全国委員会のパーティーでパフォーマンスを披露。これが彼の最後のコンサートとなった。
2003年11月、性的虐待疑惑で逮捕される。
2005年6月、裁判で無罪が言い渡される。
2009年3月、ロンドンにおける記者会見にてツアー「THIS IS IT」を発表。「これが最後のツアーになる」と発言。
2009年6月25日、自宅にて心肺停止状態に至り死亡。
「ビリー・ジーン」
ムーンウォークを初披露した記念すべき楽曲。光る地面のPVも有名。
「ブラック・オア・ホワイト」
マイケルが世界を旅するコンセプトのPVが有名。その他モーフィングする顔やマコーレー・カルキンや通常放送されることのないパンサー・パートなど話題に事欠かない作品。
「ロック・ウィズ・ユー」
エピック・レコードから発売された「オフ・ザ・ウォール」からのシングルカット。アルバムバージョンにはないハンドクラップがシングルバージョンの聴きどころ。PVで着用しているマイケルにしか着こなせない衣装も印象