1941年4月1日、姉 伊藤エミ、妹 伊藤ユミ共に愛知県知多郡常滑町に生まれる。
1959年2月11日、「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビュー。
レコード会社争奪戦の末、4月2日キングレコードが獲得。その後、同年6月17日から1972年10月1日まで「シャボン玉ホリデー」でメイン司会を務める。
「夜のヒットスタジオ」には1969年に初出演して以来、6年間で40回出演。
日本のみならず海外でも活躍し、ビートルズも出演したアメリカの「エド・サリヴァン・ショー」にも出演。和製ポップスを世界に広めた。
歌手にのみならず、映画にも数作出演。「モスラ」での「小美人」役は今なお人気である。
1975年2月18日に記者会見で引退を発表。その後「ザ・ピーナッツ さよなら公演」を興行。これが日本における引退コンサートの先駆けとされる。
これ以降、ザ・ピーナッツはほぼ公の場に姿を現すことはなくなった。
姉の伊藤エミは元ザ・タイガースの沢田研二と結婚、1男を出産するも、1987年1月に離婚。
2012年6月15日、姉 伊藤エミ死去。4年後2016年5月18日、妹 伊藤ユミ死去。
「ふりむかないで」
当時のアメリカンポップスを見事に咀嚼しザ・ピーナッツ自身初のオリジナルヒット曲となった。和製ポップス第1号とも称される。
「恋のフーガ」
ティンパニを用いた斬新なアレンジ。2人の追っかけコーラスも聴きどころ。
「恋のバカンス」
日本の歌謡曲にスウィングの感覚を持ち込んだ大ヒット曲。またロシアで人気歌手にカバーされ有名な曲となっている。