
1947年1月8日、イギリスのロンドン南部ブリクストンに生まれる。
子供の頃からファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、エルヴィス・プレスリーなどに親しむ。
1962年、ボウイはガールフレンドを巡る喧嘩を起こし、友人に左目を殴られ、重傷を負う。これにより彼の左目の視力は不完全であり、常に瞳孔が散大した状態である。
その後、殴った友人とバンド「Konrads」を結成。以降、何度も名義を変えつつ1966年4月のシングル「Do Anything You Say」から「デヴィッド・ボウイ」と名乗るようになる。
1967年6月、デビューアルバム「デヴィッド・ボウイ」を発表。しかし鳴かず飛ばずとなり所属していたデッカ・レコードから追い出されてしまう。デッカ・レコードはローリング・ストーンズが所属していたレーベルであり、またビートルズをオーディションで落としたレーベルである。
1969年、スタンリー・キューブリックによる映画「2001年宇宙の旅」をモチーフに制作したシングル「スペイス・オディティ」をアポロ11号の月面着陸の直前にリリースし、全英5位の位置につけ、一躍人気ミュージシャンとなる。
1972年6月、「ジギー・スターダスト」を発表。架空のロックスター、ジギー・スターダストに扮し、1年半の長いツアーを行った。奇抜な衣装とメイクは後世に様々な影響を与えている。
1974年、ジギー・スターダストを封印したボウイは、ジョージ・オーウェル原作「1984年」をモチーフに「ダイアモンドの犬」を制作。オーウェルの遺族側から制約を求められるトラブルに見舞われるも、北米ツアーで巨大な舞台セットを導入し、絶賛される。
またも架空の人物「シン・ホワイト・デューク」を名乗り、ブライアン・イーノと共に制作した「ベルリン三部作」の後、1983年、ボウイはカルト・スター「デヴィッド・ボウイ」と決別、ナイル・ロジャースプロデュースの元、アルバム「レッツ・ダンス」を発表。キャリア最大のヒットとなる。
その後もキャリアの総決算を思わせるようなメドレーコンサートを行うなど2000年代に入ってなお精力的な活動を見せていたボウイだったが、ワールドツアーを行っている最中、動脈瘤を起こし緊急入院して以来、創作活動に消極的になってしまう。
もはや誰もがボウイは引退したと思っていた2013年1月8日、自身の66歳の誕生日に突然、新曲「ホエア・アー・ウィー・ナウ?」を発表。27か国のiTunesチャート1位を獲得した。さらに10年ぶりとなる新作「ザ・ネクスト・デイ」を3月に発売。デヴィッド・ボウイ完全復活かと思われた2016年1月10日、18か月の闘病の末、肝がんにより死去。2日前に発表されていたアルバム「ブラックスター(★)」には自らの死期を悟ったボウイのファンへの最後のメッセージが残されていた。
彼は最後までデヴィッド・ボウイを演じきったのである。
「スペイス・オディティ」
ボウイのカルト・スターへの足掛かりとなった作品。
「レッツ・ダンス」
自身最大のヒットとなった反面、一部ではディスコへの傾倒が批判された。
「ヒーローズ」
ベルリン三部作の中で最も印象的なジャケットであるヒーローズのタイトル曲。