1955年4月13日、広島県広島市東蟹屋町に生まれる。
幼少期から洋楽になじみ、エレキギター、ベース、ドラムと相次いで勉強していった。ジェフ・ベックに影響された西城は兄と「ベガーズ」というバンドを結成。後に「ジプシー」に改名し、ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストにて優勝。喫茶店のレギュラーバンドになったところをスカウトされたものの父親の猛反対に遭い、1971年家出同然で夜行列車で上京。
1972年、日本ビクター、RCAレーベルより「恋する季節」で歌手デビュー。この頃より「ヒデキ」が愛称となり、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれるように。
1974年、「傷だらけのローラ」が第16回日本レコード大賞で歌唱賞を受賞。ポップス歌手としては史上初の2年連続受賞となった。同時にホームドラマ「寺内貫太郎一家」にレギュラー出演、「愛と誠」で映画初主演と俳優としての活動もスタートしている。
1978年、渡米した西城はヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」を知り、周りのスタッフの猛反対を受けつつもこれをカバー曲として発表。180万枚の大ヒットとなり、ザ・ベストテンでは9週連続第1位にランクイン。番組初にして唯一の満点を獲得した。
1983年、所属事務所を円満退社、第一弾シングル「ギャランドゥ」を発表。タイトルは「gal un do」、「gal and do」と所属事務所がコメントしているが、松任谷由実が深夜ラジオ番組で毛深い人のことを「ギャランドゥ」と言い続けたことで意味合いが変わっていった。
その後も各国での公演活動や主演ミュージカルの公演、人気アニメちびまる子ちゃんへの曲提供など活動を重ねていく。
2001年に脳梗塞を発症し、その後も度々発症する脳梗塞に苦しめられる。
2018年4月14日、同窓会コンサート2018in足利に出演。西城の誕生日でもあったこのコンサートでの歌唱が彼にとって最後の歌唱となってしまう。
そして、2018年4月25日、自宅にて急性心不全のため帰らぬ人となってしまう。
5月25日には通夜が営まれ、新御三家の二人、芸能関係者、多数のファンが参列。代表曲「ブルースカイブルー」が流れる中、1万人のファンからの「ヒデキ!」コールを浴びながら出棺。斎場を後にした。
「傷だらけのローラ」
紅白歌合戦では日本で初めてCO2ガスを使った演出がなされた。絶唱型と言われたスタイルが確認できる。
「YOUNG MAN Y.M.C.A.」
アメリカ国旗の衣装もさることながら振り付けも印象的である。
「ブルースカイブルー」
雄大な曲調が阿久悠の歌詞とマッチしている、ヒデキ版マイ・ウェイといったところ。