1934年12月28日、兵庫県神戸市須磨区に生まれる。
1951年、慶應義塾高等学校に編入学。その後、慶応義塾大学法学部政治学科に進学、放蕩生活を送る。
大学在学中、俳優を目指しオーディションを受けるも、すべて不合格。しかし、1956年、映画プロデューサー水の江龍子と兄・石原慎太郎の推薦で「太陽の季節」の端役で映画デビュー。大学を中退し、日活に入社。
1963年に石原プロモーションを設立。「嵐を呼ぶ男」、「明日は明日の風が吹く」、「風速40米」、「黒部の太陽」など日本を代表する名画に続々と出演。名実ともに日本を代表する名優となる。
1970年代以降は映画を離れ、「太陽にほえろ!」、「大都会」などのテレビドラマで活躍。それぞれ十数年にわたって続く裕次郎にとってのライフワークとなる。
また、歌手としても「銀座の恋の物語」、「夜霧よ今夜も有難う」、「狂った果実」など多くのヒット曲を生み出した。
タフガイとは裕次郎の愛称であるが、反面非常にケガや病気が絶えず、ほぼ毎年のように新聞を賑わせていた。
1987年4月20日、1984年に発覚した肝臓がんが悪化し急遽ハワイから帰国、慶應義塾大学病院へ検査入院。以後入退院を繰り返し7月17日ついに帰らぬ人となってしまった。
神奈川県、總持寺にある裕次郎の墓碑には妻の直筆でこのような言葉が綴られている。
「美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。」
「夜霧よ今夜も有難う」
アメリカ映画「カサブランカ」を裕次郎主演でリメイクした際の主題歌ムード歌謡を代表する一曲。
「銀座の恋の物語」
「東京で一つ 銀座で一つ」という一節が有名。デュエットの定番。
「嵐を呼ぶ男」
「おいらはドラマー やくざなドラマー」の歌いだしが有名。ドラムソロをボクシングに喩えた口上が斬新。