1947年3月25日、イングランドはミドルセックス州、ピナーに生まれる。
幼い頃より神童として名をはせ、1度聞いただけのヘンデルの楽曲を完璧に弾くことができたというエピソードも。
11歳の頃、王立音楽院に合格し、6年間在籍した。
1960年、友人と「コルヴェッツ」というバンドを結成。後に「ブルーソロジー」となり、アイズレー・ブラザーズなどのアメリカのソウル、R&Bミュージシャンのバックバンドとしてツアーを行った。
この時期、生涯の盟友バーニー・トーピンと出会い最初の共作曲が生まれた。
1970年、アルバム「僕の歌は君の歌」収録の同名シングルが大ヒット。ジョン・レノンはじめ、多くのミュージシャンが絶賛。
1972年、アルバム「ホンキー・シャトー」は自身初の全米1位を記録。その後、7枚のアルバムを連続で全米1位に送り込んだ。
1974年、ザ・フーの「トミー」の映画化の際、ピンボールの魔術師役で出演。怪演を披露した。
1976年、アルバム「蒼い肖像」を発売と同時に引退を表明。音楽活動を休止する。トーピンとのタッグも解消となった。
2年後、音楽活動を再開したエルトンはアルバム「シングル・マン」を発表。
1980年、トーピンとのタッグもアルバム「21 at 33」にて復活。80年代はほぼ毎年ヒット曲を出していたが、何を発表しても全盛期と比較され、売上も伸び悩んだことで精神的に不安定になり、過食症やアルコールの過剰摂取はエスカレートしていった。
1990年、前述の病の治療のため入院。カムバックしたエルトンは「エルトン・ジョン・エイズ基金」を設立。
1994年、作詞家ティム・ライスと共に「ライオン・キング」の音楽を担当。主題歌「愛を感じて」を収録したアルバムはアニメーション作品で世界で最も売れたサウンドトラックとなった。
2019年、自身の伝記映画「ロケット・マン」公開。
「僕の歌は君の歌」
エルトンの日本でのイメージを形成した曲。
「タイニー・ダンサー」
カリフォルニアの風土を表した曲。
「ロケット・マン」
伝記映画のタイトルになった。