1950年5月13日、ミシガン州サギノーに生まれる。6週間の早産で、保育器内の過量酸素が原因で目が見えなくなる。
1961年、ミラクルズのロニー・ワイトの前で自身作の「ロンリー・ボーイ」を歌い、それがきっかけとなりモータウンのオーディションへ。めでたく契約に至る。
1962年末、モータウン・レビューの一員として全米をツアーする。このツアーの演奏を録音したアルバムがリリースされ、13歳でビルボードの1位を取るという最年少記録を打ち立てる。
その後、「アップタイト」、「ウィズ・ア・チャイルズ・ハート」などヒット曲を出す。
1970年、音楽出版会社「タウラス・プロダクション」を設立。この頃、自身のトレードマークとなるムーグ・シンセサイザーに出会う。
1972年、「心の詩」を発表。それまでのモータウンポップス路線から離れ、マーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドの後を追い、ニューソウルの道へ踏み出す。
同年、「トーキング・ブック」を発表。収録曲「迷信」は自身のみならず黒人音楽を代表する一曲である。ここからの一連の作品群はファンから三部作と称されている。
1973年、「インナーヴィジョンズ」発表。前作よりも特にリズムを深化させ、無駄を削り落としたタイトなアルバムとなった。この年、スティービーは友人の運転する車で事故に遭い、視覚のみならず一時味覚と嗅覚をも失ってしまう。
1974年、「ファースト・フィナーレ」を発表。自身の事故の経験を見事に昇華、三部作の締めくくりに相応しい人類の普遍的な愛を描いた作品となる。
1976年、1年の休養期間を経たスティービーは、「キー・オブ・ライフ」を発表。録音過程で数百曲の没曲を出したにもかかわらず2枚組LPと4曲入りEPという自身最大のアルバムとなった。収録曲も多岐に渡っておりR&B、ファンク、サンバ、フュージョンなどありとあらゆるジャンルをスティービー流に解釈した作品と言えるだろう。
1980年、ドキュメンタリーのサウンドトラックを挟んで「ホッター・ザン・ジュライ」を発表。
その後80年代は「心の愛」、「パート・タイム・ラヴァー」などバラードの名手へと転じ、成功を収め、今に至る。
「迷信」
映画「遊星からの物体X」で使用されたことでもお馴染み。この曲の影響からか、しばらく黒人音楽の間でクラヴィネットがブームになった。
「心の愛」
80年代スティービーを代表する曲。元々は日本のグループ「ブレッド&バター」に提供した曲であった。
「くよくよするなよ!」
ラテンのリズムを見事スティービー流に解釈してみせた。映画「シング」にてゾウの少女ミーナが歌ったことでも有名。