
1940年10月9日、リヴァプールに生まれる。出生後すぐ母親の姉であるミミ伯母さんの下で育てられる。他のメンバーが労働者階級出身であったのに対し、ビートルズの中で唯一の中流家庭出身である。
1956年、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を聴き、ロックンロールに目覚める。
1957年3月、「クオリーメン」を結成。活動中ポールとジョージが加わる。
1958年7月15日、ジョンの母ジュリアが警察官の車にはねられて死亡してしまう。この事件は母を乳がんで亡くしていたポールとの信頼を深めるきっかけとなった。
ブライアン・エプスタインとのマネージメント契約を結び、1962年、パーロフォンと契約。リンゴ・スターが加入した。
1966年、オノ・ヨーコと出会う。
1969年、ヨーコとジブラルタルで挙式、新婚旅行で平和を訴えるため「ベッド・イン」を行う。
1970年、原初療法の治療を受け、幼少期のトラウマが噴出。「ジョンの魂」を発表した。
その後も「イマジン」「ヌートピア宣言」「心の壁愛の橋」など名作を次々と発表。
1976年、ヨーコとの子どもショーンの育成のため、音楽活動を休止。休止中は日本の軽井沢にたびたび滞在していた。
1980年、ヨーコとの共作名義で「ダブル・ファンタジー」を発表。
同年12月8日22時50分、自宅アパート前で待ち構えていたマーク・チャップマンにより射殺。
運び込まれた病院では盟友ポール・マッカートニー作ビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」がかかっていた。
殺害された当日、ジョンは取材の場でこう語っていたという。
「人生のうちで2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとてもよい選択だった」
「イマジン」
真正面から愛と平和を歌い上げた名曲。
「ラヴ」
シンプルな歌詞と純朴なメロディーが印象的な曲。「俺にもこんなきれいな曲が書けるんだ」と言ったとか。
「スターティング・オーヴァー」
「ジョンの魂」の重々しい鐘の音とは対照的な軽やかな鐘の音で「ダブル・ファンタジー」の幕開けを告げる名曲。