1917年4月25日、ヴァージニア州ニューポート・ニューズに生まれる。14歳の頃、母親が心臓発作で死亡。孤児となる。
1934年、初めてのステージの際、ダンスを披露するはずだったが、予定を変更し歌を披露し、コンテストに勝利。チック・ウェブズ・バンドへの誘いを受ける。
1935年より、チック・ウェブズ・バンドをバックに数枚のレコードを作成している。
1941年からソロ活動を開始。
1955年、ヴァーヴレコードに移籍。「エラ・アット・ジ・オペラ・ハウス」、「エラ・イン・ベルリン」など名作を立て続けに発表。
1970年代、パブロ・レコードに移籍。健康状態が悪化。声にも衰えが出始めた。
1989年、遺作「All That Jazz」を発表。
晩年エラは糖尿病により失明。さらに手術で両足を切断してしまう。
1996年6月15日、カリフォルニア州ビバリーヒルズにて死去。
生涯にわたって13度のグラミー賞を受賞し、ジョージ・W・ブッシュより大統領自由勲章を授与された。
「ワン・ノート・サンバ」
全編スキャットのため彼女の歌唱力を存分に味わえる曲。
「ミスティ」
愁いを帯びたメロディにエラの声がとても合っている。
「サマータイム」
ガーシュインの名曲をカバー。スローなパートとアップテンポなパートを易々と歌い分けている。