9月の4連休中の21日は「世界アルツハイマーデー」でした(偶然にも第3月曜日で、日本では「敬老の日」でもありました)。
そして9月は「世界アルツハイマー月間」です。
このキャンペーンについては、前回こちらで書かせてもらったので、詳しくはそちらを読んでいただければ(初期認知症の症状について紹介しています)。
さて。
高齢化社会と言われて久しい日本、介護保険制度が始まって20年を迎えている今年、これまでは言われてきた「認知症を予防する」という視点に加えて、「認知症との共生」という観点が、老年医療現場や介護環境ではまかり通っています。
数年前から「認知症」という言葉が一般的に浸透し、症状や状況について多くの人が知ることとなりました。かいま聞く「ひどい物忘れ」「徘徊」「失禁、失便」「暴言」「暴力」という言葉は「問題行動」と映り、認知症に対するネガティブなイメージが付着して「認知症にはなりたくない」と思うことが普通でした。
そのイメージが強く、反動で当時は「認知症にならない」=「認知症予防」というフレーズが広がりました。その言葉は「認知症になったら『人生おしまい』だよね」というニュアンスで響き、認知症の症状のある当人、その家族、関係機関の人たちは快く思っていなかったようです。また認知症の症状が現れ出した人は、「あれだけ予防をしていたのに、認知症になってしまった。予防に失敗した」という失望感を味わい、生きる意欲や自分に対する肯定感、自信を損なうことに繋がるというネガティブな影響が心配されてきました。
そもそも認知症は病気ではなく、「状態」。脳の状態なので、認知症の症状が現れることは、老齢していく中で避けがたいこと、脳の老化現象です。認知機能の低下によって、日常生活に支障が出ている「状態」です。昨今では、医療や介護現場では、誰でもなる可能性があると理解されています。
これを前提に、誰でもなる可能性があり、今後ますます認知症の症状がある人が増えていく社会となるのではあれば、目を向けるべきは「認知症との共生」ではないだろうか、とシフトしてきました。こうして近年では「予防と共生」の2本立てで、認知症について語られるようになりました。
加齢による衰えは、避けがたい事実です。メンテナンスをしていても経年劣化は起こります。その衰えていく、劣化していくスピードを遅くしたり、進行させないようにすることに努めることは私たちにできます。その努力は、自分が望む姿を長く実現させてくれる可能性があります。
その一方で気をつけて生活をしていても、認知症に限らず、大きな病にかかることも怪我を負うこともあります。そうなった時に、認知症や病や怪我は「私の一部」なんだと思います。それが全てではないはずです、きっと。
私ごとですが足を骨折した時のこと、「骨折した足は私の一部」で、「私の人生全て」ではありませんでした。行動に制限ができて思うように動けない、不便不自由がある、他人と同じスピードで歩けないといった「できないこと」は増えましたが、それでも「私の生活」は続いたのです。そこで共にする人の助けやサポート、支えがあってこそですが。もちろん骨折は、認知症や大きな病、障害などに比べたら、軽症も軽症です。
でも人生とは、五体満足の状態ではないことが少なくないと思います。特に年齢を重ねていけば、それなりに故障や不便不自由を抱えます。
その時にどういう社会だと、私たちは生きていけるのだろうか?どうなっていったら少しでも生きやすいと感じることができるのだろうか? ―――そこが「共生」の部分と思います。
私たちは認知症にならないために生きているわけではないのですから。
そして「認知症なったら人生はおしまい」なのでしょうか?本当に?
仮に認知症の症状があっても、大きな病があっても、みんなと楽しく生きていくことはできます。コミュニティで生きていくことはできると思います。
それは社会的な整備や医療や介護など全方位的な整備や理解が必要になることですが、その社会を求めて考え、作っていくことはできることです。
最後に。
認知症の研究で、海外のものですが、興味深い報告があります。
「生きる目的」が認知症の進行を抑制するということが明らかになっています。
「生きる目的」、日本語に置き換えると「生きがい」といえます。
「生きがい」というと、何やら「成し遂げるべき大業」「没頭できる趣味」「続けられること」などと受け取り、大仰なものを一つ設定しそうですが、そんなことをしなくても「好きなこと」「楽しいと思えるもの」と小さく刻んで自分の身の回り、日常を見つめてみると、何か見つかりそうです。(いやべつに「成し遂げたい大業」や「没頭できる趣味」があって、「これこそが生きがいだ!」と言えるのであれば、それはそれで素敵です。ぜひ邁進してください!)
「子ども(孫)の成長」「家族の笑顔」「好きな人と食事をおいしく食べること」「季節の植物を愛でること」「美味しい料理を作ること」「1日の終わりの晩酌」「好きな音楽を聞くこと」「オシャレすること」「お風呂に入ること」「関わった人を喜ばせること」「地域のボランティア活動」etc. etc.・・・何も一つに絞ることもありません。小さいものがたくさんあっていいです。そういうものを見つけて、それができる人間関係、できる場所を見つけ、そこに居られるようにすること、そういうことからはじめてみてもいいかもしれません。
認知症になっても生きている社会、コミュニティ、
老いても生きていける社会、コミュニティについて具体的に考えたいです。