1960年代、海外からやってきた新しい音楽「ロックンロール」。
当時のGS文化・グループサウンズとはいかにこの「ロックンロール」を日本語に落とし込めるかという戦いの歴史だ。
有名無名その他、数々のバンドが彗星のように現れては消えていったこの時代、ひときわ明るく輝いた三つのバンド、ザ・スパイダース、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、そしてザ・タイガース。
彼らの残した作品群がいまの日本の音楽界に与えた影響ははかり知れない。1968年に発表されたザ・タイガースの「ヒューマン・ルネッサンス」はその評価に値するだろう。
「光ある世界」
オーボエとフルートから始まるGSにあるまじきイントロ。ストリングスにのせたメンバーによるコーラスは1番が岸部、2番は加橋が担当している。このアルバム以前に発売された「シーサイド・バウンド」、「シー・シー・シー」とはまったく違った並々ならぬ意気込みを感じさせる曲になっている。
「生命のカンタータ」
英題「Hymn For The Birth」のとおり、新しい命の誕生を沢田と岸部でパートを分け持ち歌っている。
「730日目の朝」
加橋の伸びやかな歌声に岸部の異様に低い声の掛け合いで進行する曲。作詞作曲は加橋自身。
「青い鳥」
デビュー曲「僕のマリー」を作曲したギターの森本作。シングルバージョンではドラムを目立たせているが、ここではアルバムの作風にあうようにストリングスを強調したアレンジになっている。
「緑の丘」
ハープを伴奏に加橋が独唱するこのアルバムでも群を抜いて美しい曲。どことなくハープのメロディが国民的RPGゲームを彷彿とさせるが、作曲は村井邦彦。
「リラの祭り」
A面の最後を飾るのは一転して祭りをイメージしたアイドルらしいアグレッシブな「リラの祭り」。ここにきてようやくファズギターが登場する。その裏でうなっている岸部のベースがなかなか凶悪。
「帆のない小舟」
波に揺られる小舟をイメージした「ゆらゆら」というコーラスがユーモラス。「Oh God!」という歌詞から分かるようにB面からいよいよ旧約聖書のコンセプトが強調されてくる。
「朝に別れのほほえみを」
穏やかな春の日をイメージさせる優しいバラードだが、別れを予見する表現がたびたび登場し、「ぼくは行く あの戦場に」で冷や水を浴びせられたような気分になる秀逸な構成になっている。
「忘れかけた子守唄」
もうすぐ帰ると手紙を送ってきた息子ジョニィの姿が帰還兵の群れの中に見えないと嘆く母親の歌。「ジョニーは戦場へ行った」のオマージュと思われる。
「雨のレクイエム」
教会を彷彿とさせるオルガンが全編にわたって鳴り響き、歌詞の内容も神罰をテーマとしたアルバム中最も重くコンセプトに忠実な曲だ。
「割れた地球」
このアルバム中唯一ファズギターが全面に押し出されたジミ・ヘンドリックスに影響されたサイケデリックロック。歌詞はこの世の終わりを描いているが、どこか他人事のように淡々とした描写が一層シュール。
「廃墟の鳩」
前曲の流れを受けて全てが廃墟になってしまった世界で絶望するのではなく再び世界を創りなおそうという天地創造の歌でこの作品は幕を閉じる。
沢田研二や岸部一徳を排出し、その後の日本語ロックの流れを形作ったGSの雄ザ・タイガースだが、意外なことにベストアルバムを除くと、オリジナルアルバムと呼べるものはこの「ヒューマン・ルネッサンス」と、事実上のラストアルバムになった「自由と憧れと友情」の2枚だけだ。
これはザ・スパイダースとブルーコメッツと比べてみるととても少ない。その代わりにディスコグラフィを占めているのは「ザ・タイガース・オン・ステージ」、「ザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム」、「ザ・タイガース・フィナーレ」の3枚のライブアルバムだ。
解散後に大量のライブ音源が発掘されるバンドは数知れないが、現役時代にオリジナルアルバムよりライブアルバムの数が多かったミュージシャンは極めてまれではないだろうか。
ザ・タイガースはロックバンドとしての自分たちと、世間のアイドルとしてのイメージとのギャップに苦しんだグループとして知られている。ライブでの自分たちの本気の演奏を聴いてほしかったことの現れとは考え過ぎだろうか。
文 / 上岡賢