余命の告知から10日経った26日、父が入所していた施設から連絡が入りました。
「呼吸が荒くなり、酸素の吸入をさせているが、施設のものでは追いつかない。顔を見にきてあげてくれますか」
コロナ禍であるために面会もままならない。そんななか28日に姉の面会をセットしていただけに、急な呼び出しに事態の急変を感じました。
今回の面会はガラス越しではなく、外部から直接出入りができる病室。他の誰とも会うことなく面会ができる体制が整えられていました。
吸入器をつけ、荒い息を続ける父は苦悶の表情を見せています。心の準備をしておいてくださいと告げられて病室を後にしました。
同じ施設に入所していた母は混乱して認知症が悪化するとよくないということで、危篤になった父との面会は控えることになっていました。
自宅に帰る途中で施設の方から連絡が入り、母を父に会わせた方が良いと思いますが、どうしましょう?との相談でした。この電話を受けたことでいよいよその時は近いと感じました。おそらく最後になるであろう父と母とのお別れの時のセッティングをお願いして電話を切りました。
この夜からいつでもクルマで出ていけるようにお酒も控え、早めに寝るように心がけるようにしました。
そして28日の深夜2時、施設から連絡が入り、父の呼吸が止まったこと、担当医も施設に向かっていると告げられます。
葬儀を担当してくれる会社に状況を伝え、外で待たされることも想定して寒くない服を身につけてクルマに乗り込みました。
施設に着いたのが3時ちょっと前。同じころに到着した医師の立ち合いのもとで、瞳孔の反射や息の有無などを確認。3時11分に老衰での臨終を告げられました。
その後、病室にお別れに来た母と再会。
自分が先に逝かなきゃいけなかったのにと遺体にすがりついてなく母。介護スタッフの皆さんと一緒に母をなぐさめ、死亡届にサインをして父の遺体の処理を待ちます。
4時過ぎに契約をしていた葬儀社の霊柩車が到着。葬儀場の霊安室へと運ばれました。
父が施設を出るまで、涙を浮かべながら、頭をずっと下げ続けてくれた介護スタッフの方の姿が今も瞼に浮かびます。
文 / 上岡裕