RADIO BERRYで放送中の「ミュージックメモリー 〜音楽のSDGs」担当のケンです。
今日ご紹介するのはジューシィ・フルーツ「ジェニーはご機嫌ななめ」です。
Perfume、やくしまるえつこなど、そうそうたるメンバーにカバーされている名曲ですが、プロデュースと作曲を手がけた近田春夫はテクノ歌謡の可能性をいち早く見出した人物でした。
テクノ歌謡のもととなったテクノ・ポップといえば日本ではYellow Magic Orchestraが広めたことで有名です。
代表曲の「Rydeen」はテクノ・ポップとは何かということを言葉を使わずともわかってしまう名曲ですが、タイトルは当時流行っていたテレビアニメ「勇者ライディーン」をもじったもので、間奏には「スターウォーズ」のビームライフルの音や馬のひづめの音が聴こえるなど、洗練したテクノ・ポップに聴こえるのが何かの間違いではないかというくらい、様々な要素がごった煮になっています。
そんな彼らに目を付けたのが、自らのバンド「ハルヲフォン」を率いて活動していた近田春夫でした。
すでに2枚のアルバムを発表していた近田春夫は最新アルバム「電撃的東京」で歌謡曲をニューウェーブ&ディスコアレンジするなど時代遅れと言われていた歌謡曲の可能性を探っていました。
そんな近田春夫がYMOと制作したアルバムが1979年の「天然の美」。
「まさにテクノ歌謡!」というような曲が収録されていますが、爆発的大ヒットとなり、テクノ歌謡の火付け役になったイモ金トリオの「ハイスクールララバイ」などは1981年発売。
2年も早くテクノ・ポップと歌謡曲の組み合わせの可能性に気づいていた近田春夫の嗅覚の鋭さが分かります。
そもそもYMOメンバーの坂本龍一は「ピンクレディーは東京歌謡」という発言を残しているため、歌謡曲を追究する近田春夫と出会うことは必然だったかもしれません。
そうした研究がジューシィ・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」を生み出したと続くと美しいのですが、この曲はYMOではなく、ニューウェーブバンド、プラスチックスを参考にしたもので、実態としてはファルセットで歌うことも含めてニューウェーブに近いものでした。
ただ、当時プラスチックスは、P-MODEL、ヒカシューと並んでテクノ御三家と呼ばれていたこともあり、便宜上テクノ歌謡と分類されてもおかしくはないのかもしれません。
ただ、その後近田春夫はテクノに固執せず、テクノ歌謡を生み出した元祖のような存在でありながら渡り鳥のようにニューウェーブやヒップホップなど様々なジャンルを渡り歩いていきました。
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