1959年1月17日、東京都渋谷区に生まれる。小学2年生からデビューまで横須賀で過ごす。
1972年12月、オーディション番組「スター誕生!」で準優勝し、20社から指名を受ける。
1973年4月、「としごろ」でデビュー。森昌子・桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれる。キャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」。
1974年、「伊豆の踊子」に主演。共演者は後に夫となる三浦友和。
1976年、ブロマイドの年間売り上げ成績で第1位になる。この年発表した「横須賀ストーリー」から阿木燿子・宇崎竜童夫妻から提供を受けるようになる。
1978年、第29回NHK紅白歌合戦で紅組トリを務める。白組トリは沢田研二。ホリプロが東京都目黒区に社屋、通称「百恵ビル」を建てる。
1979年10月20日、大阪厚生年金会館のリサイタルにて三浦友和と恋人関係にあることをカミングアウトする。
1980年10月5日、日本武道館でファイナルコンサートを開催。マイクをステージに置いて歩き去る演出は数多のアイドルに影響を与えた。
以降今まで芸能界とは一線を引いている。
「横須賀ストーリー」
阿木燿子・宇崎竜童夫妻提供の第1弾。一度聴くと「これっきりこれっきり~」が頭から離れなくなる名曲。
「プレイバック Part2」
数秒の無音を挟む演出が斬新。NHKに出演した際「真紅なポルシェ」を「クルマ」と歌わされたエピソードはあまりにも有名。
「いい日旅立ち」
谷村新司を初起用した楽曲。山口百恵最大のヒット曲。めでたい席で歌われることに谷村は苦言を呈している。